お米通信 No.1222017.03.14

 

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3月号(3月9日発行)の担当は、福島です。

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3月に入り、だんだんと暖かい日が増えてきました。

今年はどちらかというと小雪の年でしたが、2月11日に「雪国でかまくらを作って呑もう!の会」を無事開催できました。

当日は隣集落の轟木(とどろき)集落から5人、先生に来ていただき、15人も入れるかまくらをつくりました。

かまくらと言うと、全て雪で作られたドーム型のものを想像するかと思いますが、安全を考慮して天井は吹き抜けにして、ブルーシートを被せて屋根にしました。

ちなみに十日町では、かまくらのことを「ほんやら洞(どう)」と呼びます。雪国だからこそできる、冬の遊びです。

今でこそ山奥の池谷集落でも道路除雪が行き届いて、生活に大きな不便はありません。では昔はどうだったのか? 庭野功(つとむ)さん、ヒサさん夫婦(屋号:隠居)にお話を伺ってきました。

 

―昔の雪かきについて教えてください。

功さん:冬になると若い男しょは出稼ぎに行っていたから、女性や子どもは除雪が大変だったと思う。

ヒサさん:家を建て替える前は、茅や屋根で雪掘りも大変だった。今の屋根と違って傾斜がきついから、下からじゃなくて上の「ぐし」(屋根の頂辺)の部分から円をかいて掘るんだよ。やり方はおじいちゃんに教えてもらったね。あと、池谷分校の屋根の雪おろしもみんなでやったよ。

功:昭和40年頃に、ようやく県道から池谷までの市道を圧雪車が通るようになった。それが2~3年続いたかな。そのあと昭和45年頃から除雪車が通るようになって、今みたいな無雪になった。そうなるまでは、村の人が順番で県道までの道付けをしていたんだ。

ヒサ:今、十日町博物館にあるんだけど、道つけの当番を書いた板があってね。雪が少ない時は1人か2人で、雪が多い時は3人でやっていたね。男しょはいないから、家にいる年寄りや女性の仕事だったんだよ。2時間くらいかかる時もあったよ。

十日町博物館にあるミチフミバン

 

―冬はどんな行事があったんですか?

ヒサ:1月14日の午後は「鳥追い」といって、子どもたちがかまくらを作って、その中で餅を焼いたりみかんを食べたりしていたね。

功:翌日の15日の朝は、「もぐら追い」というのがあった。柔らかくするためにワラを叩く木の槌を腰にくくりつけて、家のまわりを「どけどけ、つつぢ(槌)のお通りだ」と言いながら歩いたんだ。鳥やもぐらを追い払って、豊作を祈る行事なんだけどね。15日の午後は、道楽神(どんど焼き)もしたね。

ヒサ:昔は道楽神は集落のお墓があるあたりでしていたね。人が少なくなって、そこまでカンジキ履いて道をつけるのが大変だから、鎮守様(神社)の下でやるようになったんだ。あと、池谷分校に子どもがいたころは、分校の裏の坂でスキー大会なんてのもしたよ。本校の飛渡(とびたり)第一小学校の子どもたちも来たりして。雪の中にみかんを埋めて、宝探しもしたね。

 

スキー大会をしたという分校裏

 

―除雪はかなり大変だったと思いますが、子どもには楽しみがいっぱいだったんですね。お話、どうもありがとうございました。

 

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