池谷・入山の棚田で育った山清水米

集落の未来をつなぐ山清水米

池谷・入山集落は、全国的に有名な「魚沼産コシヒカリ」の産地です。
中越大震災では多くの棚田の畦が崩れ、中には3年かけて直し、
耕作を復活した場所もあります。しかしそんな逆境にもめげず米作りをし続けたのは、農業の継承が集落を存続させるために大切なことだからです。
先祖代々続いた棚田を守り、村の灯りを未来へつないでいくために、
私たちは自慢の魚沼産コシヒカリに「山清水米」という名前をつけて、
直接消費者のみなさんに買っていただくことにしました。
池谷・入山の豊かな大地で育ったお米を食べながら、
私たちが目指す「集落の存続と、都会と田舎が手と手をとりあう幸せな 社会づくり」を一緒にしていただけると嬉しいです。

「同じ気候の年がないように、米作りも毎年変わる」

大ベテランの池谷・入山の農家でも、米作りは毎年が真剣勝負。
去年よりももっといいコメを作ろうと、全員がこだわりぬいて米作りをしています。
そんな生産者の熱い思い、ぜひご覧下さい。

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山清水米が美味しい理由

豊かな自然に育まれる

豊かな自然に育まれる

冬になると、3メートル以上雪がつもる池谷・入山集落。春になると解けた水が大地にゆっくり浸透し、 ミネラルをたっぷり含んで田んぼに注がれます。
田んぼにはカエルやどじょう、水生昆虫など生き物が沢山棲んでいます。初夏にはホタルも飛び交い、そして山地だからこそ、昼夜の寒暖差によりお米の甘味がぎゅっと増します。

安心・安全を食卓へ

安心・安全を食卓へ

農薬、化学肥料の使用を慣行栽培の5割以下で栽培しており、特別栽培米として新潟県の認証を受けています。また、農薬も化学肥料も使わない米作りにも挑戦し続けています。

精米後すぐに発送

精米後直ぐに発送

お米は生き物なので精米後徐々に劣化していきます。私達は玄米のまま保冷庫で低温保存し、独自の精米プラントで精米後すぐに発送しています。

エリオットさんご夫妻

エリオット夫妻

・Zak Elliott様
僕は、実際作ることを参加したし、いつも作っている皆様と知り合えたから、なんというのかな。。。
安全でもあるし、自分の故郷みたいな感覚で応援したくなるから買っていると思う。

・久瑠美様
とにかく初めて食べた時に、本当に美味しかったです。他の魚沼産とは味や食感が違う事を実感しました。
とにかく美味しかったです。
そして、ボランティアで訪れた際どのような環境で作られているかも購入している理由のひとつです。
作り手に愛情を感じる環境の中、そして自然に囲まれた豊かな山々の中で育まれたお米の美味しさに通じています。
お値段がやはり魚沼産の中でも高めだとは思うのですが、継続的に買う理由にはこんな2つの理由で購入しています。

長田延滿様

長田延滿様

山清水米のご縁は、「実るいけだん」の竣工式に出席した大塚実会長から「おいしい米だ。
復興の支援にもなる」と勧められたのがきっかけです。
娘家族と二世帯でいただいておりますが、美味であることは言うまでもなく、なによりも安心していただけるのが有難いです。
プランターの野菜づくりで疲れる私には、山上の棚田の農作業の大変さは想像できませんが、
その苦労を生かしてくれるのが豊かな自然環境だと思います。
TPPで安い米が心配されていますが、私は逆に世界の金持ちが「山清水米」を買い占めないかと心配です。
山清水米が日本農業の活路を開く牽引車となる様期待しております。

宮沢さんご家族

元々JENのファミリーサポーターであった我が家に、「そうだ、田んぼに行こう」というキャッチーなフレーズが入ったお知らせが届いた時、不思議なご縁を感じたことを今もよく覚えています。
中越地震が起きた2004年10月23日、私事ながら私たち夫婦は都内で結婚式を挙げました。多くのボランティアが被災地に向かう中、何も出来なかった自分達の無力さを感じていましたが、JENのお知らせを見てから次の5月の連休、3歳の娘を連れて私たちは「そうだ、田んぼに行こう!」と家族で池谷に向かいました。

山肌には所々自然が牙を剥いた痕が残っていましたが、池谷にはかけがえのない経験と出会いがありました。
自然が牙を剥いても、限界集落に息を吹き込んで1000年続く村を作ろうという情熱を持ち、都会から池谷に移住した爽やかなダイナミズムを持った若い方達、都会のよそ者ボランティア達を温かく迎え入れてくださる村の皆さんと、手弁当で何度も地震で傷ついた村を支えに駆けつけるボランティアの優しい手で、山清水米が育てられていました。

炊飯器で炊いてももちろん美味しいですが、我が家ではル・クルーゼ(フランスのホーロー鍋)や、フツフツ・・・という音を聞きながら、土鍋でつやつやに輝く山清水米を炊いています。
炊きあがった土鍋の蓋を開けるとき、田植えを教えて下さる村の方の笑顔、子育てをしながら農作業を手伝っていらした女性たちの優しい手が毎回思い出されます。

豊かな自然に抱かれた池谷の田園風景で穏やかに福々しく育つ山清水米を、我が家ではお世話になっている方々へのお中元やお歳暮として送ることはもちろん、日本のお米を入手しづらい環境にある海外に住む友人達にも送っています。既に太平洋も大西洋も渡った山清水米は、海外在住の方達にも大好評です。

「いただきます」は、多くの人によって育まれた命を頂くこと。
2か月に1度の割合で注文する山清水米の白米5キロと、玄米5キロが、池谷の地域おこし委員会から我が家に届きます。
多くの人の情熱と優しさで育まれた池谷の命の源・山清水米が、今日も我が家の食卓を支えてくれます。

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山清水米で作ったおかゆです

山清水米白がゆ

山清水米白がゆ

山清水米野菜がゆ

山清水米野菜がゆ

山清水米といっしょにどうぞ

山菜炊き込みご飯の素

山菜炊き込みご飯の素

豚角煮大根

豚角煮大根

お米通信 No.122

 

毎月、商品をご購入いただいたお客様に、商品と一緒にお届けしている「お米通信」。

ブログでもご紹介しています。

3月号(3月9日発行)の担当は、福島です。

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3月に入り、だんだんと暖かい日が増えてきました。

今年はどちらかというと小雪の年でしたが、2月11日に「雪国でかまくらを作って呑もう!の会」を無事開催できました。

当日は隣集落の轟木(とどろき)集落から5人、先生に来ていただき、15人も入れるかまくらをつくりました。

かまくらと言うと、全て雪で作られたドーム型のものを想像するかと思いますが、安全を考慮して天井は吹き抜けにして、ブルーシートを被せて屋根にしました。

ちなみに十日町では、かまくらのことを「ほんやら洞(どう)」と呼びます。雪国だからこそできる、冬の遊びです。

今でこそ山奥の池谷集落でも道路除雪が行き届いて、生活に大きな不便はありません。では昔はどうだったのか? 庭野功(つとむ)さん、ヒサさん夫婦(屋号:隠居)にお話を伺ってきました。

 

―昔の雪かきについて教えてください。

功さん:冬になると若い男しょは出稼ぎに行っていたから、女性や子どもは除雪が大変だったと思う。

ヒサさん:家を建て替える前は、茅や屋根で雪掘りも大変だった。今の屋根と違って傾斜がきついから、下からじゃなくて上の「ぐし」(屋根の頂辺)の部分から円をかいて掘るんだよ。やり方はおじいちゃんに教えてもらったね。あと、池谷分校の屋根の雪おろしもみんなでやったよ。

功:昭和40年頃に、ようやく県道から池谷までの市道を圧雪車が通るようになった。それが2~3年続いたかな。そのあと昭和45年頃から除雪車が通るようになって、今みたいな無雪になった。そうなるまでは、村の人が順番で県道までの道付けをしていたんだ。

ヒサ:今、十日町博物館にあるんだけど、道つけの当番を書いた板があってね。雪が少ない時は1人か2人で、雪が多い時は3人でやっていたね。男しょはいないから、家にいる年寄りや女性の仕事だったんだよ。2時間くらいかかる時もあったよ。

十日町博物館にあるミチフミバン

 

―冬はどんな行事があったんですか?

ヒサ:1月14日の午後は「鳥追い」といって、子どもたちがかまくらを作って、その中で餅を焼いたりみかんを食べたりしていたね。

功:翌日の15日の朝は、「もぐら追い」というのがあった。柔らかくするためにワラを叩く木の槌を腰にくくりつけて、家のまわりを「どけどけ、つつぢ(槌)のお通りだ」と言いながら歩いたんだ。鳥やもぐらを追い払って、豊作を祈る行事なんだけどね。15日の午後は、道楽神(どんど焼き)もしたね。

ヒサ:昔は道楽神は集落のお墓があるあたりでしていたね。人が少なくなって、そこまでカンジキ履いて道をつけるのが大変だから、鎮守様(神社)の下でやるようになったんだ。あと、池谷分校に子どもがいたころは、分校の裏の坂でスキー大会なんてのもしたよ。本校の飛渡(とびたり)第一小学校の子どもたちも来たりして。雪の中にみかんを埋めて、宝探しもしたね。

 

スキー大会をしたという分校裏

 

―除雪はかなり大変だったと思いますが、子どもには楽しみがいっぱいだったんですね。お話、どうもありがとうございました。

 

山清水米ネットショップ

http://shop.iketani.org/